人生は夢のカーニバル

きらりと光る星に願いを込めた

38歳の櫻井翔くんへ

 

櫻井翔さん、38歳のお誕生日おめでとうございます!!!

 

お誕生日記事3本ノック第2弾。

正直な話、これを書くかすら迷った。最初に言っておくけど、ただただ明るく楽しい話はできません。例の件にも触れます。だから、そういった類が嫌な方は今すぐ戻ってくださいお願いします。前向きな気持ちに水を差したくない。

 

 

 

あんまりこういうこと言いたくなかったけど、わたしが櫻井担になって一番静かな誕生日だったなと思う。世界は広いしわたしの周りだけかもしれないけど。いや、そうであってほしい。

現にわたしもうまい言葉が見つからず。とはいえ今のこの感情に蓋をして、上っ面の綺麗な言葉だけを並べたくもなくて。日付が変わった時点で確実に心の中にある感情だけを並べたつもり。「おめでとう」と「ありがとう」。これだけは揺るがないなと思ったから。

 

2020年になり、昨年11月の例の件のほとぼりも冷めてきた(とわたしは思う)、そんな中のうちの人の、あれ。細かく分けると3つほどありますでしょうか。どうなんでしょう。

噂には聞いていたから、出たそのときはついに来たか~~って軽く受け流していたわけだけど。何かが違った。

 

こういった類は基本的になにかに怒っているわたしが、以前2.25でリアルに体調崩して寝込んだ経緯もあるわたしが、怒りも、悲しみも、何も出てこなかった。虚無だった。これが許容なのか、諦めなのか、見放しなのか、なんなのかははっきりとはしていないけれど。今までと違う感情が確かにそこにはあって。

週刊誌には確かに腹が立つ。でももう我々の力ではどうすることもできない現実を知っている。無関心を貫くことでしか、NOを突きつけられない。だけどわたし一人が無関心だからって世間はそうじゃない。コンビニに行けば目立つ見出しが出ている、世間話かのように話題にされる。怒ることに疲れてしまった。

涙も一滴も出てこなかった。「ご自由に、好きにすれば?」というのが正直な感想だろうか。これは年齢的なものなのかもしれないし、お相手のスペックゆえのものなのか、わたしが悟りを開いただけ説もあるし、グループ内に既婚者がいるからなのか、あるいは活動休止よりましだと思ったからなのかもしれない。

興味がなくなったのか、おかげさまでネットニュースなどはほとんど見ていない。Chromeちゃんが優秀だから余計なのも引っ張ってきて通知までよこすけど、横にしゅっってスライドして見なかったことにしている。まあタイトルである程度内容を察するわけだが。

 

もっと言うと、今までの例の報道と違うのが、わたしたちには時間がないということ。

時間が解決してくれることもあるじゃん、こういうのって。というか時間でしか解決できないような気すらしていて。しばらく離れて落ち着くのを待つ、自分の気持ちが整理されるのを待つ、とか。

でもね、そんなことをやっている時間がない。悠長に構えて長い目で見ている時間がない。1.27まであと2日。要するにあれから1年が経とうとしている。それに、年末まで1年を切った。こうしている間にも刻一刻とその時は近付いている。のんびりしている時間はない。なのに、それなのに、なんでこのタイミングであれこれ考えなければならないんだろう。

イムリミットが迫っているというのに、ただでさえ1日1日HPをじわじわ削られていっているというのに、これ以上畳み掛けられるのは正直言って耐えられない。今にも限界を迎えてしまいそうで。

だからといってここで幕引きをするのはそれはそれで癪だ。あんな出来事のせいで船を降りるなんてまっぴらだ。わたしのプライドが許さない。こんなん、さっさと降りちゃえよって言われるんだろうな分かってるよ。今はその狭間でぐらぐらと揺れているんだよ。

 

 

 

好きか嫌いかって言ったら好きだよ。嫌いの「き」の字も浮かばないよ。好きです。これは変わらない。

幸せになってほしいかほしくないかって言ったら幸せになってほしいよ。ずっとずっと思ってる。幸せになってほしくないなんて1ミリも1ミクロンも思わない。

 

でも、気付いてしまったんだよね。

昔は翔くんの幸せがわたしの幸せ!だと信じて疑わなかった。いやもちろん、嵐のなかで顔をくっしゃくしゃにして笑っているところとか、嵐の4人から褒めちぎられて居心地悪そうに照れてふざけてごまかすところとか、美味しいものを口いっぱいに頬張ってもぐもぐ食べているところとか、そういったアイドル面での幸せはわたしの幸せです。

 

だけど、プライベートでの幸せがそうとは限らないと思った。例の方と旅行に行った。年末は忙しかったしゆっくりできてよかったねと思う、気を許せる相手がちゃんといて安心する面もある。

とはいえ一点の曇りもなく、それがわたしの幸せかって言われたら違うと、思ってしまった。真偽はさておき、報道が出た、その事実に嫌な気持ちになる。モヤモヤする。つまり幸せではないと。

もしかしたら、知った経緯が悪意や嫉妬や妬みが混じった媒体だったからなのかもしれない。仮に本人の口から言われたとしても、それはそれできついものがあるだろうけど。

やっぱり、知りたくなかった。分かっているよそれくらい。素敵な人だからそういう人がいることくらい。でもね、頭で分かっていることと、情報として突きつけられること、これは違う。

プライベートの幸せは知りたくないけど、世界で一番幸せになってね。これは嘘じゃないよ。だから、無関心という名の鎧を纏おう。

 

 

 

お誕生日だというのに、絶望の底にいるみたいなこんなに暗い話をしてごめん。

だけど、例の一件があったからって、これまでの言葉が嘘だったとはわたしは思えない。思わない。きっと本当に嵐を全うしたいんだと思う。その言葉に嘘偽りはないはずなんだ。本人がいう「嵐」にはプライベートの部分が含まれていなかった、ただそれだけなんじゃないかな。

 

翔くんには本当に本当にたくさんの言葉をもらった。人生の半分以上好きで、大好きで、人格形成に大きく関わっていて、考え方も影響を受け、精神的支柱で、道を照らす灯台だった。わたしの青春は嵐とともにあったし、日々の生活の深いところにまで入り込んでいる。

わたしだけじゃなくて、たくさんの人をずーっとずーーーーーっと幸せにし続けてきてくれた人。特定の個人より、上のほうから横のほうから奥の奥のほうまで、たくさんの人を等しく幸せにすることにこだわってきた人。それもまた一つの優しさであって。

「嵐」という宝物を絶対に守るべく、自分の感情は封じ込めて調整役となり戦ってきたこと。言葉を武器に、言葉を盾に。マイクとペンを持って。本気になったとき、いつも以上に目を見開いて早口になるの、知ってるから。

これほどまでに愛にあふれたアイドルをわたしは知らない。だからこそ、世界で一番幸せになってほしいと思っている。

影でわたしは知らないふりしているから、翔くんは翔くんの思う道を、やりたいことを、全部叶えて全部自分のものにして、ドヤ顔で素敵な人生を送ってください。

 

 

 

幸せを願っています。

お誕生日おめでとう、大好きです。