人生は夢のカーニバル

きらりと光る星に願いを込めた

37歳の櫻井翔くんへ

 

櫻井翔くん、37歳のお誕生日おめでとうございます!!!

 

お誕生日記事3本ノック、第2弾は櫻井翔くん。

 

 

 

先日「那須くん17歳のお誕生日おめでとう!」って記事を書いたばっかりなんだけど、こうやって並べると、那須くんとはまるまる20年離れているんだなあってしみじみする。....おじさんじゃん!(おじさんだよ!)

そうなの、嵐ももうおじさんなんだよ。でもそんなおじさんたちがいつまでもかっこいいし、いつまでもかわいいし、あの空気感がまるっと大好きなんだよね。年齢じゃないんだよなあ。年齢だったらとっくの昔に薮くん!那須くん!ってなってる。

 

なんせ多感な学生時代、どっぷり浸かっていたのが他でもない翔くんで、道を照らす灯台のような人だった。翔くんがいたから、強く清く美しく生きようと思った。

そうやってわたしの人格形成に大きく関わっている人だから、万が一、億が一櫻井翔くんを一番としないときが来たとしても、一生この1月25日という日は意識するんだろうなと思っている。

 

 

 

ブログを始めてからだと7年以上。

毎年毎年1月25日には記事を書いてお祝いし続けていて、ここ数年はもうネタないんだけど...!と若干のネタ切れを起こしつつあって。そしたら翔くんのほうからネタを提供してくれた。

 

オトノハである。

 

有料ブログだから引用はしませんが(ネットにスクショとか載せるやつは東京湾に沈めてやるから出てこい、それを拡散するやつもだ)、Johnny's webに登録している人はみんな読んでほしい。翔くんの頭の良さと、優しさと、若干のめんどくささと、かまちょな部分がなんとなく分かると思う。

翔くんの書く文章はちょっと特徴があって、絵文字は一切使わない、顔文字はごくまれに簡易的なものを使う(大体これ→m(_ _)m)、よく改行する、括弧でセルフツッコミをする、など。

翔くんのこだわりが垣間見えて、同じブロガー(同じにすんな)としては微笑ましくなる。分かる、書き方のこだわりってそれぞれにあるよね。

 

学生だったわたしが携帯を手にして課金し始めた頃は、月2回の更新(10日と20日だった気がする、違ってたらごめん)で、それがいつからか月1回(15日)になり。

更新頻度は減っても、毎月翔くんから届く言葉を本当に楽しみにしてた。ラップのリリック解説とかしてくれたときもあったなあ。...あれはオトノハじゃなく、アルバムリリース時の特設コーナーだったっけ?(記憶力のなさ)

まあ最近は、"当番の人が週に1回更新するスタイル(すなわち自担は9週に1回)"から、"メンバー全員が月に1回以上更新するスタイル(自担は月1以上)"となったHey! Say! JUMPのJumpaperが怒涛の更新すぎて、オトノハの更新日を忘れちゃうことがあるんだけど。毎月15日、18時をすぎるとTLに櫻井担の感想が並ぶから毎回ほっこりする。

それと同じ現象が、毎週月曜、23時ちょうどにTLに並ぶ「翔くんこんばんはー!(以下、今夜のビジュアルに対するコメント)」だよね。生放送zeroのありがたみ、櫻井担の抜かりないビジュアルチェック。律儀な櫻井担好きだよ。よっ、担タレ!

 

 

 

それで。1月15日の更新。

わたしがオトノハを読み始めてからはおそらく初めてとなる、2部作。翔くんは割と毎回長文を届けてくれるんだけど、1つに収まらないくらいの長文。...なげぇわ!!!(大好きありがとう愛してる)

年末年始のあれこれを、翔くんの視点から翔くんの言葉で事細かに伝えてくれた。翔くんは物語をエモくする天才だから、自らの幼少期の話などピックアップして書いてくれたり。情景描写の上手いこと上手いこと。翔くんの情景描写力はラップにも生かされていると思う。

 

特に意識せずとも、普段の生活のすぐそばにいるのが音楽。音楽を聴くとあの頃の思い出が蘇るよね。

でも翔くん、今では嵐がそういうアーティストなんだよ。嵐の曲を聴けば、あの頃ああだったなあ...って思い出が走馬灯のように蘇ってくる。わたしの生活って、こんなにも嵐とともにあったんだって泣きそうになる。

それが5×20。嵐と自分の歴史を照らし合わせ、今この瞬間が交点なんだって。嵐とともにここまで歩んできたんだって。ただの嵐のアニバーサリーツアーじゃない、嵐とファンが一緒になって思い出のアルバムを捲るコンサート。

 

単独で紅白の司会をするようになるなんてね。あの頃の翔くんに伝えてあげたいよ本当に。タワレコとか、HMVとか行きまくってた音楽大好き櫻井少年に伝えてあげたい。昔聴いていたアーティストの方々を司会として紹介し、舞台袖で楽曲を聴けるんだよって。

間違いなく情報を伝えて時間通りに進行することも大事だけど、司会自身が楽しむこと、それがお茶の間に楽しさを伝えることであって。そうやって、会場の空気感を伝えるのも司会の手腕だと思う。落ち着いていてフォローも欠かさず、情報だけでなく楽しさも伝える。これほどまでに司会に適任な人、いました?

小さい頃の夢が、思わぬ形で、というかあのとき夢見たもの以上に叶っている。

 

翔くんってアイドル以外にも様々な進路があったはず。敷かれたレールの上をあのまま走っていれば、きっと今頃大企業に勤めていた。仕事もできるだろうから、30半ばを過ぎていれば何かしらの肩書きがついていたであろう。

でも翔くんはアイドルという道を選んだ。

というか、翔くんはやりたいこと、興味の範疇が広いから、アイドルでいることこそ、やりたいことを実現する一番の近道なのではないかと思う。報道、音楽番組、このあたりがまさにそう。

嵐でいたから、報道番組に関わることができた。嵐でいたから、音楽番組の司会ができた。嵐でいたから、被災地復興というCSRを意識した興行ができた。

もし、そのままレールの上を走っていたら、これだけたくさんのことができたのか?ということ。もちろん、アイドルの道を選んだ当初は想像もできていなかったことで、本人の努力によって勝ち得たものばかりなんだろうけど。

だから、いつか翔くんが言っていた、「自分がやりたいことをやるためには、嵐でいることがベストなんです」(ニュアンス)という言葉は本当に嬉しかった。嵐だから、色々なことをやらせてもらえることを分かってくれていた。であれば、きっと翔くんは嵐として、自分がやりたいことを実現し続けてくれるだろうなと思えるんです。

 

 

 

それともう一つ。5×20の挨拶の数々。

翔くんは「平等」にすることこそが優しさだと考えていて、コンサートでも平等に、基本、個人的なファンサービスは行わない。見切れや上の方こそ意識的に手を振り、呼びかける。

コンサート終盤の挨拶も、コピペしたような毎回ほぼ同じ内容の話。それも差をつけないように、みんな平等にする優しさ。だったんだけど。

 

5×20の挨拶は違った。毎回違う内容の話をしていた。

そりゃそうだよ、マイクとペンを武器にここまで来た人だもん、伝えたいこと、話したいことがいっぱいあるはず。これまで言語化してこなかったあれこれが、一気に「翔くんの言葉」としてアウトプットされた。

それこそいつもは嵐のことをビジネス的側面で捉えている人が、こうもストレートに感情をぶつけて、激重ポエマーみたいになるんだって、少し驚きもした。まあもともと翔くんはポエマー気質なんだけど。やっぱり20周年って特別なんだなあ。

翔くんの言葉にはすごく力があるから、櫻井翔というフィルターを通して、嵐の20年の話を聞けるのはすごく感慨深い。

 

5×5、5×10、5×15、5×20と右側の数字がどんどん増えていくことより、左側の「5」の数字が変わらない、「5」の数字が持つ意味が変わらないことが何よりも大きいと思うこと。

どんなに悔しいことがあっても、4人だけは変わらずずっと、ずーっと隣にいてくれたこと。

指差したり個別に対応する類のファンサービスはできていないけど、「一人でも多くの人と」という気持ちでこちらを見て、しっかり記憶していること。

ずっと意地張って、ムキになってた自分が4人のおかげで丸くなれたこと。

「この4人となの?」(疑問)から「この4人となら」(可能性)、そして「この4人とじゃなきゃ」(確信・自信)って変わっていったこと。(まさに"嵐"という壮大な物語の一端で、それを語る翔くんはまさにストーリーテラーだと思う)

5人と、スタッフのみんなと、ファンのみんなで完成形のないプラモデル(かっこよく言えばサクラダファミリア)を作っている感覚だということ。

昔はライバルはメンバーだと思っていたけど、あるタイミングからライバルは外にいて、4人は味方なんだと気付いたこと。

嵐の関係って、"なかよし"の4文字じゃ到底語り尽くせず、外向いて、手を繋いで、色々なものと向き合って戦ってきたこと。

 

インターネットが発達したこのご時世、挨拶の内容はSNSなどですぐ出回ってみんなが知ることができる。現にわたしも翔くんの挨拶をメモして、Twitterに載せた。

翔くんはそうやって出回ること、さらに一語一句完全に伝わることがないことを分かっていた。意識的に言葉を扱う人だから、一語一句に意味があって、少しでも抜けていたら、少しでも他の言葉に変わっていたら、その時点で意味が変わってしまう。すなわち、自分が伝えたいことではない(可能性がある)、と。もちろん上記の内容も完璧ではない。

翔くんって不本意な形で伝わるのをすごく嫌がるよね。それも"伝える"ことを仕事にしているから、なんだろうけど。

 

 

 

そんな"言葉"を大切にしている翔くんが、「必ず見てくれているあなたへ」届けたいと言ってくれている。櫻井担として、こんなにも幸せなことってある?重みが何億倍も違う。

翔くんは言葉を扱う側としてオフィシャルに、外側に向けて発信する立場で。別にこちらに向けた言葉が何もなくたって、翔くんの言葉から感じ取ってきた。

櫻井担はテキスト担だって言葉もあるくらい、翔くんの言葉が大好きだった。個人仕事がある度に開催される雑誌祭りや、それ以外にも年1回の年末年始の雑誌たちから、翔くんの思考が今どのフェーズにあるか考えたりもしていた。

毎月のオトノハは、翔くんのフィルターを通して、伝えてもいいと判断された事項だけがこちら側に届いていた。お仕事の裏側、プライベートのあれこれ。十分ありがたかった。どこかで災害があれば、必ず寄り添った言葉をくれた。

ファンサービスだって、翔くんは個別にやらない。うちわを見せて、反応を貰うだけで大勝利だった。だから何かをやってもらう、というよりは"伝えたい"一心でうちわを持っていた。あなたのファンがここにいますよ!って。半ば諦めというか、そういうもんだ、それも翔くんなりの優しさなんだって分かっていたから、過度な期待もしなかったし。

 

なのになのに。それもぜーんぶ「分かってるよ」って。

今までの何もかもが報われたような感覚。これまでのあれこれの答え合わせができた感覚。すべての辻褄が合った感覚。翔くんから肯定をもらった感覚。

いつか、「俺のファンは分かってくれていると思うけど」って言葉をくれたときもあった。分かっていることを分かってくれていた。多少なりともこちら側に信頼を寄せてくれているのかなと思えた。いつもこっちから一方通行だから、たまにこうやって打ち返してくれると言葉にはしがたい嬉しさがある。

みんなへ、じゃなくて、櫻井翔ファンへ、呼びかけてくれたのが本当に本当に嬉しくて。きっと、翔くんはわたしたちが思っている以上に分かってくれている。

こんなに幸せでいいのかなあ、櫻井担。

 

 

 

今日、1月25日に全国各地で、全世界で自分の誕生日を祝ってくれていることも"分かっている"んだもんね。

だから、ネットの片隅でお祝いします。

 

櫻井翔くん、お誕生日おめでとう。

 

貴方のこれからの人生が、幸せでありますように。